2017.09.03 21:20|不登校
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息子はいじめにあっていたわけではない。

「クラスの子はみんないい人だと思う。」と、息子も言っていた。

どうして不登校になったのか?

誰も知っている人のいない高校。

地元の友人同士でつながっていたり、
入学前からSNSでつながっていたり、
あるいは積極的な性格でどんどん友達を作っていったり…

あっという間に周りはグループ作りをし、
内気な息子は、あっという間に出遅れ、
ものの数日で孤立したそうだ。

(これは不登校になってから、あとで息子から聞いた話だ。)

以来、話すきっかけを失い、
また、たまに話しかけられても、気後れして話すことができなくなり、
入学後、1~2週間で、誰とも話さない毎日になったらしい。

そうなると、
「何をどう話したらいいか、わからなくなってしまった。」そうだ。

ネットで良く出てくる「コミュ障」。


誰とも話さない。

弁当も、毎日一人で食べていたそうだ。
時に、自分の席を、友達と食べるから貸してくれ、と言われ、
居場所がなくなり、途方にくれることもあったようだ。

いじめられはしなかったけれど、
何をするも一人。
クラスの中で、いないも同然の存在となり、
グループ行動をしなければならない時は、
無理に入れてもらったグループの中で、
邪魔な存在となってしまう自分が
耐えられなくなっていった…

そういう毎日が積み重なっての不登校だった。

息子は、

都立にせっかく合格したのだし、
いじめられているわけでもないのに、
学校へ行かなかったり、やめたりするのは、
自分の甘えだ。
だからがんばって、学校へ行こう。

と思っていたようだ。

だけど、身体には、正直にその我慢の無理が現れた。

それが夏休み最終日の発熱だったのだ。

薄々感じてはいたけれど、実際、
1日中、学校で誰とも喋らないでいたことや、
一人で弁当を食べていることを知って、
私は、胸が張り裂けそうな思いだった。

それでも、宿泊行事の時以外、休まず、
自分のつらさを誰に話すこともなく、
4カ月近く学校へ行っていたんだな…・

「いじめられているわけじゃなく、
ただ一人でいるのが嫌だから、学校へ行けない。」
確かに甘えにも聞こえるかもしれない。

本人もそう思っていて、我慢していたのだ。

いないも同然ではあっても、
一人でいると奇異な目で見られ、
自分がネタにされ面白がられているのがわかり、
それも堪えたらしい。

いじめではない。
でも、
十分きつい毎日だったと思う。

息子が不登校になったのは、無理もなかった。

ただ、原因が自身のコミュニケーション能力にあるのであれば、
場所が変わっても、そこは今後もついて回る問題になるな…と
思った。

それはまた別の記事で。











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2017.09.03 20:21|不登校
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夏休み中は、早くに学校の宿題を終わらせ、
中学時代の友人と京都旅行に行ったり、出かけたり、
青春18きっぷを買って、一人、行きたい神社を巡ったりしていた。

そして、夏休み最終日、熱を出した。

1週間熱が出たりひいたりしたあと、
本人が学校へ行けないと言い出し、
その後は、日中家にいることになった。

はじめの頃は、私と激戦を繰り広げたけれど、
そのうち、私もその状態を受け入れるようになった。
(そこに至るまでは、結構壮絶なやりとりもあり、
思い出すのも疲れるほどなので、今は書かない。)

一応、息子は、自分で時間を決めて、
少しだけど勉強時間をとったり、
日課のワンコの散歩をしたり、
好きなことをしたり、
時には、平日に好きな街に出かけてみたり…して
過ごしていた。

その頃には、息子のこれまでの頑張りを理解していたので、
少し休憩をとることは、ちっとも悪いことではないと思った。

ゆっくり休めばいい。と思った。

もちろん、この先の不安は平行してあったけれど。

息子は、このままずっと家にいることは自分の為にならないと思ったのだろう。

出かけた先で写すカメラが欲しかったこともあり、
カメラを買うことを目標にバイトをする、と言い出した。

学校で居場所と対人関係作りに自信をなくした息子。

バイトをすることで、人に対して、なくした自信が、
少しでも回復すればいいな。と思った。

そうして、10月の終わり頃から、
通学の乗り換え駅にある、小さなスーパー兼コンビニで
バイトを始めた。

バイト先を乗り換え駅に決めたのは、
息子の中で、
学校へ復帰するつもりが、その時はまだあったから。

息子は、「学校をやめる」という選択を、
別の進路を決めるまで、しなかった。

不登校期間中。

行こうとしても行けない息子に、
「学校やめてもいいんだよ。」と何度か言ったけれど、
息子からは、いつも
「いや、高校は行きたい。続けたい。」という返事が返ってきた。

学校を「やめたい」のではなくて、
学校に「行けない」のだった。

そうして1か月、2か月、3か月…と過ぎていき、
結局、12月に高校をやめた。

途中からは、激しい衝突も、お互い荒れることもなくなり、
息子と夫と私の、いつも通りの日常が戻り、
穏やかな毎日だったと思う。

特に、
「都立高校再受験」という目標が決まってからは、
安定した日常になったように思う。


(ただ、1年前のことなので、美しい記憶がより強く残るように、
その時の苦しい記憶は忘れつつあるのかも。)

2017.09.03 19:24|不登校
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高校に入学した息子。

入学式のこわ張った表情も忘れられない。

入学式、クラスでの顔合わせが終わると、
逃げるようにして、私を置いて帰って行った。
(私には保護者会が残っていた)

ずいぶん緊張してるな。固いな。と思った。

でも、初日だし、そんなもんだと思った。

学校が始まり、数日経って、

「どう?話す子できた?」と聞くと、
曖昧な返事。

聞かれたくないんだろうな。と思った。

それから、何回か学校の様子を聞いてみたけど、
返事は、聞かれたことに対して、
「うん。」「まぁ、そんなとこ。」でおしまい。

自分からはまったくといいほど学校の話はしてこなかった。

年齢的にそんなもんだろうな。と思った。

学校が遠いので、朝は早かったけれど、
行くのを渋ったことは一度もなかったし、
むしろ、中学の頃より、すんなりと朝出て行っていたので、
気になりはしたけれど、そう心配はしなかった。

ただ、毎日、帰ってくると、
仰向けになって、大きなため息をつくので、
だいぶ疲れていることはわかった。

そうして、6月に入り、学校での宿泊行事が予定にあった時。

断固として、その行事に参加をすることを拒否した。

「誰も話す人がいないのに、1日中学校にいて泊まるなんて地獄だ。」と
息子が言ったので、
「あぁ、まだ本当に友達ができていないのだな。」と思った。

「でも、宿泊行事とか、そういうのを通して友達とか、だんだんできていくのでは…?」
と勧めてみたけれど、頑固に、激しく、拒否。

結局、宿泊行事は欠席した。

本格的に心配になってきたので、
担任の先生、スクールカウンセラーの先生に、
息子には内緒で様子を聞きに行くことにした。

そうして、先の記事にも書いたけれど、
スクールカウンセラーの先生には、
「お母さん、お父さんが社交的なタイプなので、息子さんが心配に見えるだけで、
友達をゆっくり作っていくタイプなのでしょう。様子を見ましょう。」
というようなことを言われ、
「学校に行けなくなるぐらいになったら、その時にまた…」的な話で終わった。

その時は、本当に学校へ行けなくなるとは思わなかった(思いたくなかった)し、
不安ながら、確かに様子を見ることしかできなかった。


2017.09.03 11:47|不登校
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直接会うことはなかったけれど、
スクールカウンセラーの先生との
面談日時のやり取りを、間に入って、
電話でしてくれたのが
高校の保健室の先生だった。

だいぶ気にかけてくれていて、
電話で長話をすることもあった。

電話での会話の中で、

「学校をやめても、
別の場所で生き生きと過ごせるようになった子を、
何人も見てきている…」


という、暗に「学校をやめた方がいいのでは?」的なニュアンスの話があり、
それを聞いた時、私は、
「せっかく志望校に入ったというのに、やめることをすすめてくるなんて!」と、
ものすごく悔しい気持ちになったのを覚えている。


不登校になると、
「また元の学校へ通学できるようになること」が
絶対的なゴール、理想のゴール…のように
はじめの頃は思えてしまうので、
保健室の先生の話は、とても冷たく、
ひどいように感じた。


ただ、息子の内面やこれまでの状況を知っていくうちに、
「また学校へ行くようになっても、
本人も、周りの環境も変わらなければ、
問題の根本は解決しないのでは?」
ということがわかってきて、
一度、登校をはじめた1週間は、
嬉しかったけれど、諸手を挙げて喜べるような気分ではなかった。

そうして、あれからほぼ1年近く経った今、
息子はその高校を辞めている。

「学校をやめても、
別の場所で生き生きと過ごせるようになった子を、
何人も見てきている」



…あの時の保健室の先生の言葉通りになっている。

(生き生きと…というほどではないけれど)
息子は自分に合った場所で、
自分のペースで、元気に過ごしている。

2017.09.03 11:18|不登校
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不登校といっても、いろいろ。

うちのように高校で突然なったり、
小学校~中学校からずっとだったり、

全く行けない不登校から、
時々は行く不登校だったり。

原因も、人間関係のほかに、
身体的理由だったり、家庭内の環境だったり、
学習によるものだったり。

一人一人違うので、
「こうしたら、また学校へ行けるようになります。」という
マニュアルがない。

はじめの頃は、その「マニュアルがない」という事実も、
大きな失望だった。

息子が不登校になり、
相談したのは、
高校の担任、
高校のスクールカウンセラー、
不登校の子を心身と学習でサポートしている塾の先生だった。

高校の担任とは、
相談というより、単位の話、
席替えの時の配慮など、
事務的な話。

不登校中、学校(先生)から連絡がくることは
ほとんどなかった。
9月から学校をやめる12月までの間に、
4~5回だったように思う。

学校にもよるかもしれないれど、
高校が義務教育ではないからだったと思う。
ましてや都立。

来ない人、来れない人、来たくない人を、
無理に登校させる必要がない。

高校生にもなると、そんなもんなんだな。
もうそういう年齢なんだよな…と思った。

スクールカウンセラーの先生とは、
息子は、予約をとって2回ほど。

私も、夏休み前の1回を合わせて2回ほど。

それで、息子、特に何も変わることはなかった。

それも、そういうものだと思った。


塾の先生の所へは、このまま不登校が続くことを考え、
入塾を視野に相談に行った。

結局、入ることはなく、その1回きりだったけれど、
「もう死にたい」と口にした息子の様子を電話口で話すと、
すぐに面会時間をとって、会って話を聞いてくれた。

自身が不登校経験者である先生に息子の様子を話しただけで、
だいぶ私は気が楽になり、今でも感謝している。

都の教育委員会にも、相談する場所があったけれど、
うちの場合は利用することはなかった。




2017.09.03 03:38|不登校
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昨年、9月1日からはじまった息子の不登校の記事を、書きました。
まだ続きはあるし、
息子が不登校になった理由も書けていません。

私の記事を読んでいる人がいるとは思えないけれど、
万に一人でも、この夏休み明けに
現在、お子さんの不登校で目の前が真っ暗になっているお母さんがいたら。

その方の目に留まったら…と思って書きます。

私も、昨年、目の前が真っ暗になったし、
こどもの先のことを思うと、
高校中退なんて、
絶望とか人生終わり。とかで、頭がいっぱいになりました。

おそらく、この先知ることと思いますが、
「混乱期」と言われるものそのものでした。


どんな記事や情報を調べても、体験談を読んでも、
不安な気持ちがおさまることはなかったです。

ただ、本当に本当に、

本人、一人でがんばり続け、闘い、悩んでいたからこそ、
不登校という形でSOSが出たこと。

不登校という形でしか、そのSOSを出せなかったことを
知ってください。

もう十分、がんばってきたから不登校なんです。

昨年の今頃、こんなこと言われても、はじめは、
「そう簡単に高校辞めさせるわけにはいかないよ。」と思っていました。

誰が責任とってくれるわけでもないし、
高校中退とか、そんな傷、つけるわけにはいかないでしょ。
なんとか行かなせなくちゃ。と。


でも、大事なのは高校ではないです。

その子が生きていることが全てです。
苦しさから逃れて思いっきり呼吸させてあげることが全てです。

「学校へ行くことが全てではない。」

本当にその通り。


苦しみの中に無理矢理押し戻さないで。

苦しみに溺れて、もう絶対絶命で、なんとか息をしようと、あがいて顔を出したところが不登校。

そこから先は、手をのばしてひきあげてやってください。


今、息子は、昨年の9月1日にいた場所とは違う場所で、
元気に呼吸しています。


当時、人の話は
「しょせんうまく行ったって話でしょ?他所のうちの話でしょ?うちとは違うし。」

「どうしたらよいかわからない。うちはダメかもしれない。」



…ダメだとしか思えなかったけど…

大丈夫でした。


ちゃんと道はありました。

道はあります。

2017.09.03 02:57|不登校
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不登校になり、2か月が過ぎようとしている頃だったか。
もう、これ以上欠席すると、
単位がとれず留年になる。

同じ高校での留年は考えられない。

学校へ行けない以上、
学校を辞めなければならないのは当然だ。

学校は辞める。

ただ、
辞めて「都立高校を再受験する。」と、
方針が決まったことは、
大きな安心となった。


「都立高校を再受験」

担任の先生にその旨伝えた。


今、籍のある都立高校を辞めなければ、受験資格が得られないので、
辞めるぎりぎりまで籍を置いておくことになった。

そうして、カテゴリ《不登校》の最初の記事=昨年12月26日の記事→に至った。


2017.09.03 02:29|不登校
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ママ友の一人に、中学時代不登校だった男の子のお母さんがいた。

その子は息子より一つ年上。

時間をとってもらい、不登校になった際の話、その後、高校、進路…などを
聞いた。

この時、彼女から、高校中退者や、不登校の子でも、
積極的に入学させている都立高校の情報を聞いたのが
その後の息子の進路の決定打となった。

息子は高校を辞めても、
大学進学はしたいと考えている。

①高卒認定を受けて大学受験

②通信制の私立高校で高卒資格をとる。

③大学受験の進学塾に通い、大学受験を目指す。

どれかと思っていたのだけれど、①は独学でできたとして、
それなりに高額な学費が必要だ。

そのことを、
息子は気にしていた。
「せっかくお金のかからない都立に合格したのに…」と言ったりする。

私としては、もうお金がかかっても、
なんとかする覚悟でいたのだけれど、
うちが裕福でないことがわかっている息子には
遠慮があるようだった。

そんな時、冒頭のママ友から、
「都立の定時制」という手もある。という話を聞いた。

定時制というと、夜間のイメージしかなかったけれど、
朝から通学する学校はあるし、
東大、国公立の合格者を出しているような定時制もあるんだよ~と
いうことだった。

そういう高校は、年齢も事情も様々な人がいるので、
高校中退も不登校も、気にならない。

…息子にその話をすると、
静かに息子の気持ちは決まったようだった。

数日後、息子、
「〇〇高校を再受験する。」
(大学進学を視野に入れた都立の定時制を受験する)
と、宣言。

…方針が決まった…・。


2017.09.03 01:57|不登校
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突然、フルに1週間登校した息子に喜んでいたのもつかの間。

やっぱり行けない。という息子に、
もう「行け」とは言えなかった。

(行った方がいいよ。ぐらいは言ったかもしれないけれど。)

その頃は、
もうどんなにか息子がこれまで頑張ってきて、

その結果が不登校だったのだ。ということを十分に理解していたので。

「今通っている高校を辞めたら…?」というのを前提に、
情報を収集している状況だった。

なので、再び行けなくなった息子を責めたり叱ったりはなかった。

もう高校は辞めるしかないだろうな…という方向を向いていた。

2017.09.03 01:46|不登校
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息子が登校をはじめて
1週間。

毎朝、高校へ向かって行く。

これでもう、息子に高校生活が
戻ってきたのだと思った。

翌月曜日の朝。

「今日は休む…。やっぱり行けない…。」

…あぁ、終わってなかった…。


2017.09.03 01:41|不登校
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息子は…と言えば、
私以上に、高校を辞めることに抵抗があった。

辞めたくて行かないわけではない。

行きたいのに、行けないのだ。

せっかく入ったのに…。

という思いは、私より強かったようだ。

なんとか、高校を続けたくて、
どうしても落とせない体育の水泳の補講だけは、
必死で受けに行った。

台風の中のプールで30往復(補講のノルマ)のクロールをし、
途中で先生に止められたらしい。

学校には行けなかったけれど、
家にいるだけではいけない。と、
息子は進んでバイトも始めた。

(バイトを始めることで、気分が変わり、
学校にも行けるようになるかも…という
淡い期待が、息子にも私にもあった。)

そうして、10月…11月…と時間が過ぎていった。

10月だったか、ある月曜日の朝、突然、
学校へ行く時間に起き、支度をし、学校へ行った。

「もう無理に行かなくてもいいよ…」と
思っていた矢先の出来事だったので、
ものすごく嬉しかった。

唐突だったけれど、これで不登校が終わったのだと思った。

2017.09.03 01:27|不登校
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高校辞めたら人生終わり…ぐらいの恐怖があった。

これまで、「高校中退」なんて、1ミリも考えたことがなかったので。

ただ、時間が経ち、いろいろ知っていくうちに、

「高校は義務教育ではないので、行っても行かなくても良い」
という、原点に行きついた。

高校へ行かない選択をし、働いている子もいるし、
高校中退で、ヤンチャな生活を送る子もいれば、アルバイト生活を始める子もいるし、
高卒認定を受けて、大学進学を目指す子もいる。

あぁ、そうか…

もちろん、ことある場面でハンデにはなるだろうけれど、
別に高校中退=人生おしまいではないのだな…。

少しづづだけど、息子が高校に行かない毎日に慣れていき、
息子を責めることがなくなっていった。

そりゃ、もちろん、本音は行って欲しかったけれど。


2017.09.03 01:14|不登校
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夏休み明けから学校へ行けなくなった息子。

はじめの頃は、バトルだった。

何としても行ってほしいと思う私。

VS行けない息子。


「せっかく入った高校なのに」

「高校やめたら、その先どうすんの?」

「やめるんだったら、それに変わる道を考えろ!」

「学校やめるんだったら、
家を出ていけ!アルバイトして一人で生活してみろ!」


本当にひどい言葉の数々を、息子に投げつけ、
時に、取っ組み合いにもなった。

息子だって、やめたかったわけではなく、
自分の意志に反して「行けない」状況だったというのに。


高校を辞めたくない。
でも、行けない。



それがその時の息子だった。


9月から1カ月ほど、バトルの状態が続き、
その間、死に物狂いで「不登校」「高校中退」を検索しまくった。

高校中退の恐怖が、息子にも私にもあった。

2017.09.03 01:05|不登校
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高校に入学してから、
友達がうまく作れていないことは
なんとなく察していた。

でも、息子は朝早くても、
嫌がることなく、文句を言うこともなく、
1学期中、淡々と学校へ向かっていた。

夏休み中は、中学時代の友達と遊んだり、
旅行に行ったりしていたし、
そのうち、高校でも友達もできるだろう…と思っていた。

実は、1学期のうちに、
息子があまりに馴染めていなさそうだったので、
担任やスクールカウンセラーの先生に会って、
様子を相談はしていた。

担任の先生も、スクールカウンセラーの先生も、
「焦ることはない。ゆっくり友達を作るタイプでしょうから、
様子を見ましょう。」
「今のクラスでうまくいかなくても、2年になってクラス替えがありますから。」

「〇〇君と仲良くしてあげて、とかそういうことを大人から
働きかけてどうにかするような年齢じゃありませんから。」(担任)

まったくその通りだし、何かして欲しかったわけではなかったので、
学校の方で何の働きかけがなかったことには、何の不満もない。

なくて当然だったと今でも思っている。

ただ、当時、スクールカウンセラーの先生に相談すれば、
何か、「うまい解決法やアドバイスがあるのでは?」と、
期待していたのも事実。

結果、スクールカウンセラーの先生は、
こちら側の話を聞くだけの人だった。
(うちの場合)

がっかりしたけれど、その存在、役割、業務を調べていたので、
そんなものだと納得した。

息子も、不登校が始まってから、
2回ほど、スクールカウンセラーの先生のところに行ったけれど、
気持ちも行動も、何も変わることなかった。

あくまでも、うちの場合。

スクールカウンセラーの先生が悪いわけではない。

スクールカウンセラーの役割は、そこにいて話を聞いてあげること。
具体的な解決策を提示するためにいる人ではない。
(相談内容によるだろうけど)

話す相手(=スクールカウンセラー)がいるだけで、解決することもあるので。

うちの場合は、可でもなく不可でもなかった。

何の影響もなかった。

2017.09.03 00:38|不登校
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「学校へ行けない。」という息子。

「何をふざけたこと言ってるのよ。
行かないわけいかないでしょ!」と、
びっくりして返す私。

もう1週間もズルズル休んでんのに、
「何言ってんの?コイツ…」って感じ。

嫌がる息子を、とりあえず1階の工場に入らせ、
学校に行くように強要する私。

すると息子が、工場の機械の陰に行き、
暗がりの中で、大きな体を丸めて声を上げて泣き始めた。


これはただことじゃないと、その時初めて悟った。

2017.09.03 00:33|不登校
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昨年の9月1日。

高校1年生だった息子は、
前日から40度近くの発熱があり、
登校できず、学校を欠席することに。

熱を出すこと自体珍しい。

夏風邪かな?

初日から休むのは何ともいい気がしないけれど、
熱だから仕方ない。

夏休みの宿題は、毎年のことながら、
夏休みの初め頃に終えてあったので、
「せっかくやってあるのになぁ…。
なんだかやってなくてズル休みするみたい。」
と、息子の熱より、そんな体裁を気にしたことを
覚えている。

熱はひつこくて、その後1週間、上がったり下がったり。

その間、病院にも2度ほど行ったけれど、
ただの風邪の処方で、まんじりともせず。

1週間後、いよいよ熱も下がったので、
「いい加減、もう今日は行かなきゃね。」と、
息子を促し、息子も、淡々と用意をして
通学用リュックを背負い、共有玄関まで降りた。

と、息子、突然、
「学校へ行けない。」と言い出した。

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プロフィール

sango*

Author:sango*
こんにちは。
都内在住アラフォーの妻です。

抱える借金6千万orz…。

某業界超末端に位置する自営業。
前代からの大借金で明日にも廃業の危機。
こども一人抱え、
仕事も家もまもなく手放すことになりそうです。

そして、
こんな状況にもかかわらず、
ずるずると無駄買いをやめることのできないダメダメな私…。
日々、物欲と格闘中。

長くなりそうなので、プロフィールの続きは、
ブログ本文に書いていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

追記:2009年、ブログをつけ始めてから、
2010年に、マイホームは売却しました。
その顛末は、カテゴリ≪売却準備≫で
記事にしています。

追記:2011年1月 義母との調停が始まってしまいました…orz

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