他人事でしょ。
受験をし直すことを決めた。
今は、別の高校で、高校生活を送っている。
相変わらず人づきあいが苦手で、
気質的に本人が変わったわけではないけれど、
息苦しい一般的な学校制度から解放された自由な校風の学校で、
話をする友人もでき、先生の誘いで運動もはじめた。
運動音痴で、全力で運動を拒否していた「アンチ運動」息子が、
某競技にはまり、今は、毎日のように運動をし、全国大会まで参加することになった。
これは自慢かもしれない。
「まさか息子が不登校」から、まさか「息子自慢」を書いている今。
自慢を書きたいわけじゃない。
別の場所に進んだ結果、
こんな「今」があるということ。
不登校になり、保健室の先生から「別の場所がある~」の話を聞いた時、
暗に「学校をやめた方がいい」と言われたように思い、
「所詮先生にとっては他人ごとでしょ!」と、憤ったあの時の自分。
「別の場所がある」(=別の生き方がある)、と言われても、
そんなこと1ミリも信じられなかった当時と、
こんなことを書いている「今」を、事実として記録しておきたい。